「シニアプログラマーの学ぶ副業と転職」~シニアさんや初心者さんが楽しく学べる~

在宅副業でプログラマーしています~Wワークのアドバイスします~

副業を始めるなら小さな案件から楽しみましょう(~Part2.吉田拓郎さんのオフィシャルサイト~)

[インターネットなんて無いのに]

 今から30年ほど前の古い話で今は参考になるかどうかになりますが、その当時、SUNのUNIXマシンでC言語使った社内システムの開発に携わっていました。当時は今の様なインターネット回線やVPN、なども無く専用線を使った開発だったと思います。ネットの環境は社内に閉じた閉域網による分散環境での開発でした。

 メールなどでのやり取りや電話会議で全国に4拠点に分けたプロジェクトチームがそれぞれのタスクを与えられ、各々にリーダーが求める仕様に沿って開発を進め、進捗を報告しあい、合同でのレビューや総合試験などで本部に寄り合ったりして成果をまとめるものでした。いわゆるクラサバ型の開発です。当時はネットを接続したサーバーにログインする形式の環境により各々が与えられたタスクを行っていました。

[きっかけを楽しもうと思いましょう] 

 時を同じくして通信の世界もインターネットが世に幕開けを待ち望まれる時代へと変わっていきます。

 自分としては、その頃、ネットの仕事がWebに移るのを予期出来るのに近い位置にいたと思います。なので自然にネットによる求人サイトを見始めていました。

 その頃は「SOHOビレッジ」や「お仕事ワークス」だったかの求人サイトをよく眺めていたと思います。その中で目に入ったのが「吉田拓郎さんのオフィシャルサイトの作成」案件でした。自分たちの年代では吉田拓郎さんは青春のシンボルでしたから、真っ先に応募メールを出しました。もちろん、地方の自分たちには到底、受注出来るなどとは思っていませんでしたが、たまたまご縁があったのか受注出来てしまった様です。その頃は、こう言うことが出来る人材がフリーランスでも、そんなに多くなかったのも成立した要因の一つかと思います。

 因みにその頃、フリーランスをSOHO(ソーホー)と呼んでいまして、まだ、副業とかノマドなんて言葉もあまり聞かなかった時代の事です。

[お付き合いは信頼から生まれ長く続きます] 

 話は戻りますが、その案件は数万円の小さな額でしたが、その後、今でもお付き合いの続いている東京のIT業者さんで、それからも定期的に案件を出してもらえる関係となりました。

 当時はオフィシャルサイトなんてものも少なく、地方を回っている吉田拓郎さん自身やスタッフの方々が写真や近況などをアップしてファンの方々に提供するというシンプルなものでした。

 開発マシンはその業者さんが用意してくれ、開発言語はPerlです。その頃は、これがWeb開発の主流でした。マイクロソフトのサーバーではASPUNIXサーバーではPerlが主で、クライアント開発はVisualBasic(通称VBブイビー)などが使われていました。仕様自体もその頃はDB(データーベース)を使うわけでもなく、画像のアップロードとテキストファイルの保存もサーバーのフォルダーに保存する程度のものでした。表示もHTMLページに直にS-JIS(シフトジス)で書き出す仕様だったように思います。

[きっと在宅を楽しむ時が得られます]

 今後もプログラミング案件の受注方法、秘訣や苦労話など経験を生かした内容を継続して発信して行きます。また、お会いしましょうね。